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2006年GWより。日常生活を徒然と。
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あれから一年。
仕事場で起きた東日本大震災。

地震が起きて、尋常じゃない揺れ方をして。
これは外へ出た方が良いのでは、ということになり、
急いで外に出ました。
高さが5m以上ある木が揃ってゆっさゆっさ揺れて、
集合場所までの坂道も古かったから、
本当に登って大丈夫ないのか戸惑いつつ登り、
集合場所で携帯のワンセグを見てみたら、
字幕で地震について出ていて。
それから間もなく、学校中の人間が校庭に大集合。
3月だったので比較的人は少なかったものの、
100をゆうに超える人が集まり、
事務職員は一番端に待機なので全く指示が聞こえない中、
上空には空港に戻れない飛行機がぐるぐる旋回。
躊躇いつつも携帯で夫や親戚に連絡するもまるで繋がらず、
メールも届かず。
やっと来たメールはお義母さんからで、
夫も無事だと教えていただきました。

暫くして、講堂へ移動。
学長の指示があるも、まるで聞こえず苛立つ人々。
ヤジを飛ばされる中、なんとか指示が行き渡り、
非常食の乾パンと、紙コップ一杯の水が渡される。
交通機関は止まっており、歩いて1時間で帰れる人は
記帳して帰るように連絡がありました。
もちろん神奈川に住む自分が帰れるはずもなく、居残り組に。
学校を抜け出して近くのコンビニへ行ったひとは、
買い出しに走る人で長蛇の列の中で会計を済まし、
家に居るはずの子供達と携帯で繋がらなかった人は、
10円玉やテレフォンカードを集めて
学校に1つのみ在る公衆電話から自宅に掛けていたなぁ。

その後、講堂のスクリーンにテレビが映し出され、
宮城・岩手の惨状に上がる悲鳴。
その頃、宮城沿岸出身者がやっと実家に連絡がとれ、
家族や家の無事を確認出来ていたのを覚えています。
家から海まで自転車で10分、近くに川が流れているので、
もうダメかと思っていたそう。
学内は翌日入試の予定だったため、
上層部(?)は会議やら震災対応にてんてこ舞いだった模様。
頃携帯の電池が1本になり、

スクリーンが熱を持ったため暫く放送を中止した頃、
歩いて15分に家がある職員さんのところへ
泊まりに行かないかということになり、
記帳して大学を出ました。

暫く歩いて、無事その職員さんの家へ。
近くのコンビニにで買い出しをし、
一夜を過ごさせていただいたのでした。
が、時間が経っても、ニュースは進捗を見せず、
その場にいた5人、まさかのカラオケに行くことに…。
偽善者ぶるわけでは無いが、どう考えても不謹慎なのに、
最も下っ端の私が“やめましょう”とは言えず…。
JRの某駅付近のカラオケ屋へ。
道中、駅に帰宅困難者が集まっていたのが印象的でした。
2時間ほど過ごした後、元の家へ戻り、就寝。
後日、この話は不謹慎だから
内密にするよう、言われたっけ。
また、この日の夜、実家に連絡するも繋がらず、
母の職場に連絡したら、さっきまで居たけど
仕事に行っちゃったよ、という返答。
なんてアクティブ!
父とはメールで連絡が取れ、
兄家族は代表して奥さんとメールが通じました。

翌朝、電車が動きはじめたのを確認し、
朝の6時頃、その家を出ました。
au同士、携帯を充電させてくれたことが有り難く、
同じく職場にいた夫と連絡を取り、帰宅。
道中、歩きながらも緊急地震速報が鳴ったのを思い出す。
最寄り駅で待ち合わせた夫、ヘルメットを被って登場。
私の分も貰ったが、正直困った記憶も(苦笑)

家のドアの前で覚悟を決め、開ける。
多少本やぬいぐるみは散乱していたものの、
(元々片付いていなかったが)
本棚が倒れたり食器が落ちたり、
ということはありませんでした。
食器棚を開いたら、落ち掛けたコップが落ち、
割れましたが、まぁそれくらい。
その日は大人しく、布団の上でワンセグを見ながら
1日の大半を過ごしました。
緊急時の対応もまとめたけど、
今は引っ越してしまったので、
また対策を練らねばね。



あれから1年。
もしまた地震が来たら、
今の私は急いで移動することが出来ません。
お腹が大きくなってきたのでね。
もし津波の危機が迫ったら、どうしようか。
たまに考えますね。
まぁ、今住んでいるところは山なので、
何ら心配はしていないのですが、
出先で電車が止まったら。
職場ならまだしも、もし2時間かかる帰宅途中に
交通機関が動かなくなったら。


あれから一年経ちましたが、
根本的に解決された問題はどれだけあるのだろうか。
企業の帰宅困難者受入について検討はされているけれど、
本当の非常時、あまり知らないその土地で、
助けてくれる所を探すのは難しいように思います。

色々問題はあるけれど、
被災された方々が少しでも前に進んで下さることを
切に願うばかりです。
そして、わたしに出来ることは、
起こったことを忘れないこと。
災害時に慌てず、日々余裕を持って過ごすこと。
産まれる子供を守ること。

前を見つめて生きて行こう。
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わたしのこと
HN:
あじゃみ
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/10/21
職業:
専業主婦
趣味:
音楽関係
自己紹介:
音大作曲科卒。
某大学で事務職に就いた後、
2012年4月より専業主婦に。
8月に出産予定!

たまに編曲してますよ〜。
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