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2006年GWより。日常生活を徒然と。
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今年、日本人が4名ノーベル賞を受賞しましたね。
彼らの現代社会に熱くメッセージを送る姿に喜びを感じます。

特に同意したのが、下村氏のメッセージ。
「やり始めたら、やめたらダメよ」下村さん、子たちへ
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200810090091.html?ref=goo

「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ」

小学校までぶっちゃけ優秀だったわたし。(体育以外ね。)
中学以降成績不振に陥ったのも、正直、興味を持ったことをを見失ったからだと思う。
今更それをいってもどうしようもないんだけど、思い出したらぶあっと当時の記憶が溢れてきてね〜。
気がついたら書きまくってました(^ω^;)

以下、どうしようもない記憶の日々。
はっきし言って自己満足ですが、思いだすままに書いてみた。
内容は、小学時代のわたし。
学習塾に行く為に算盤塾を辞めさせられたという話。
とても長いのにオチが無いんで、スルーした方が良いかとw

要は、やめさせちゃいけないんです。
実は根に持つ蠍座一歩手前のO型女w

私は小学校1年から4年くらいまで、算盤(ソロバン)を習っていました。
最初兄が始めて、私も習うようになったんですが、
当時ピアノやエレクトーンよりずっとずっと好きだった。

何が好きだったかというと。
人と簡単に競争できるということ。
「願いまして〜は〜 ・・・では〜?」
という先生の読み上げがあって、それに我先にと手を挙げるのが好きだったんだと思う。

休日にたまに牛丼奢ってくれる先生が好きだった(笑)
教室いっぱいにいる生徒達みんなに買ってくれた。(数十人いるのに)

家が遠かったから、学校帰りにそのまま行って遊んでるのが好きだった。

鉛筆を使ったクジが好きだった。
先を削りかけか完全に削った物の二種類を作って、後者が当たったらロケットペンをくれた。
ロケットペンって、プラスチックのペンで、とんがった先を出し入れできるヤツね。
(わかりづらいなぁ)
そもそもロケットペンが好きだった。

算盤塾にあった本(主に子供向けの伝記)を読むのが好きだった。

人より早く級を上げていくのが快感だった。

他の塾と合同で開かれた珠算大会の選手に選ばれる事もうれしかったし、
その中で賞を取ろうとがんばれた。

あの雨がザーザー降っているような珠の音も好きだった。

冬休みになると「買い物計算」っていうのがあって、
用紙いっぱいに書かれた買い物リスト(名前と値段が書いてある)を組み立てて、
10万円だったかな?
ピタリ賞を組み立てると先生がご褒美をくれる。
ピタリでなくても、近ければご褒美がもらえた。
正月はパズルの様にそれを楽しんだ。



つまり、子供が楽しめる教え上手な塾だったんです。
安かったし。
生徒もたくさん居て、同い年の友達もたくさんいた。
身近に競い合える兄がいた。
もちろん遠かったし面倒くさいと思った事も少なくなかったけど、かなり好きだったように思う。

でも、辞めさせられた。

4年生くらいになってある日突然、「進学塾の入塾テストの申し込みをして来た」と言われ、
同日に受けるつもりだった珠算の進級テストを諦めさせられ、塾のテストを受けに行った。
で、そのままその塾に通う事になり、算盤が続けられなくなった。
それまで同い年の子とトップ争いしてたのに、徐々に抜けられ、兄はどんどん先に行く。
次第に算盤塾を辞めた。

兄は続けてるのになんで私だけ?って思った。
(後に聞いたら、「ピアノのグループの子らがみんな受験してたから」だそうな・・・。親の間でも変な競い合いみたいなのがあったらしい。)
学校では塾に入る前からぶっちゃけ成績は良かったし、算盤でもトップクラスだった。
でも塾に入ったら能力毎にクラスが分けられ、今までとは違う勉強を強いられた。
学習塾と算盤塾、同じ塾でもほんとに大きな違いだった。
お弁当を持って算盤塾より遠い塾に行くのも嫌だったし、
帰りが遅いのも嫌だった。
入ってすぐの勉強について行けないのも嫌だった。
学校の苦手な子しか周りにいないのも嫌だった。

それもそのはず、行きたい学校があって塾に行く子と、嫌々行く子では姿勢も伸びの違いすぎる。
実はそんな理由でヤマ○音楽教室も嫌いだったんだけどね・・・。
結局それから中学に入るまでは、私にとっては地獄だったなぁ・・・。
何かを強いられるのも嫌いだし、やりたい事ができないのも嫌。
友達と遊べないのも嫌。
休日、家族がリビングに揃っているのに自分だけピアノするのも嫌。
たまに勉強をつきっきりで見てくれた母だけど、なんでこんなに勉強しなけりゃなんないのかわからなかった。
点数の低い自分も嫌だったし、怒る事の増えた親も嫌だった。

中学受験は、結局親が決めた学校を受けに行った。
結局入った中学校は、受験の時しか行った事が無い学校だった。
入ってから何をすればいいか分からなかった。
それま「親:自分=1:1」で勉強を強いられて来た私。
中学校に入って「先生:自分=1:40分の1」になった。
勉強をするはずもなかった・・・

よって、私の若き黄金時代終了〜。
小学校低学年くらいまでは、ほんとに頭よかったのよ。これでも。
中学校はそれなりに楽しい事もあったからその学校に入ったことを後悔はしない。
だから親の進みさせたかった道も間違ってなかったんだと思う。
でも。
どうしても、あの時、やりたい事を続けられなかった記憶が抜けないんです。
今でも「あの時塾に行ってなかったら〜」みたいなことを私は言うんだけど(主に親とけんかした時)、親は「良い中学だったじゃない」みたいな事を言ってごまかされる。

何が悪いって言い切れないんだけど、、
自分がいつか親になったら、下村さんの「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ」の台詞を教育方針にしたいと思う。
後悔はもうしたくない。
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無題
そんな私の人生常に右肩下がり!

なんてね。。。笑

米食べたかい??
Toる 2008/10/09(Thu)20:08:37 編集
>Toるくん
こめーーー!!
まだなのさ、せっかくもらったのにごめん(ー人ー)
どうせならおいしく食べられる機会を、と思いつつ、、ね。
飲み会やら体調不良やら外食やらで食べる機会を逃してます・・・orz

私は小学校高学年〜中学校が暗黒時代だったわー。
最近はなかなか上がらんわ。。(ーωー)
あじゃみ 2008/10/10(Fri)00:08:46 編集
無題
昔も今も勉強嫌いだし、多分この先も勉強嫌いなままであろう私に“塾”って言葉は無縁だけど。

つい先日、中1と話してて、化学式やら元素記号を意外と覚えてた自分に驚いた23歳文系デス(笑)

サトコ 2008/10/10(Fri)19:07:18 編集
>さとこどん
化学式ってナンダッケってくらい忘れてるよ(^ω^)
私の場合、勉強嫌いっていうより興味を持ってから理解するまでのプロセスが人より長い気がする・・・

塾は嫌いだった、でも算盤は「算盤塾」って読んだ事はなかったな。
あじゃみ 2008/10/10(Fri)20:57:50 編集
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あじゃみ
年齢:
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性別:
女性
誕生日:
1984/10/21
職業:
専業主婦
趣味:
音楽関係
自己紹介:
音大作曲科卒。
某大学で事務職に就いた後、
2012年4月より専業主婦に。
8月に出産予定!

たまに編曲してますよ〜。
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