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2006年GWより。日常生活を徒然と。
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リベルテでショスタコ5番第4楽章をやるので、今回はショスタコについて調べてみました。

リベルテでショスタコ5番第4楽章をやるので、今回はショスタコについて調べてみました。


・Dmitry Shostakovich
・1906~1975
・ロシアのセント・ペテルブルグに生まれる。(後のペトログラード→レニングラード)
・音楽一家で生まれ育つ。
 両親は気の荒い人間の住むシベリア出身。
 父は音楽狂(メロマーヌというらしい)、母は音楽院出身の優れたピアニスト。
 姉と妹を持つ。
・ペトログラード音楽院を受験。
 実力を認められた彼は、様々な作曲科のクラスへの登録を許される。
・父の死で家計が苦しくなるが、16歳の身で映画の伴奏ピアニストの仕事などをしていた。
・ペトログラード音楽院卒業作品として、第1交響曲を提出。
 1926年に初演するも、早くも脚光を浴びる事となる。
・1927年には革命10周年を記念する交響曲第2番、3番を作るが、評価は得られなかった。
 その後、何曲か手がけるが、「反時代的なあやまちを犯している」と非難される。
 特に《カテリーナ・イズマイロワ》(=ムツェンスク郡のマクベス夫人)と《明るい小川》は
 「荒唐無稽の音楽」と評価され、当局より「静粛を命じる」とされた。
 そんな厳しい批判の中、第4交響曲は生まれた。
・これらの批判の中ショスタコは自らの音楽美学の諸原則を再点検せしめ、やがて新たな確信を抱かしめるに至った。
 すなわち《第5交響曲》である。

(ミシェル・R・ホフマン著「ショスタコーヴィチ」より抜粋)


とまぁ、こんな経歴で第5交響曲が生まれたらしいです。
彼が生まれた1906年は、ロシア革命の発端となった事件、すなわち1905年1月の「流産に終わった革命」から21ヶ月後。
治安が安定していない為、
物資的生活条件の厳しい中に生まれた為、
彼が11歳の時とある路上で同年輩の少年が警察官によって殺されるのを目の当たりにした為、
彼の作品には陰のある、国民色のあるものとなったと言えるでしょう。

なんだか文が固くなってしまった。
要は、音楽一家で育っても決して裕福なわけではなく
音楽のアルバイトをしながらピアノと作曲を学び
社会的批判を受けつつ自分の考えを見直し
第5交響曲が生まれた訳です。
演奏上の注意としては・・・まぁ、これらの過去を頭に入れるだけで、何かが変わる・・・のかなぁ?(汗)

第4楽章の分析、近々載せたいと思っております☆
ちなみに第5交響曲の初演は10月21日。
自分の誕生日だから覚えてしまいました(笑)(←だからなんだ・・・?)
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わたしのこと
HN:
あじゃみ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/10/21
職業:
専業主婦
趣味:
音楽関係
自己紹介:
音大作曲科卒。
某大学で事務職に就いた後、
2012年4月より専業主婦に。
8月に出産予定!

たまに編曲してますよ〜。
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