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2006年GWより。日常生活を徒然と。
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午前は寝過ごし(ぇ)午後は作曲。5時からレッスン。
通学途中の夕焼けが最高でした。富士山見えるだよ。空気が澄んでるのかも。
5時に学校行く時は、いつも夕焼けを見ようと必死です。
ポジションは譲らねぇ。

ふと、東に住む私は「富士山は夕日が沈む時に見えるもの」だけど、西に住む人は「朝日が昇る方にある」って思ってるんだよなぁ。
なんだかへんな感じです。
そして、よくある”富士山がぺカーって後光差してる絵”あるっしょ?
ぺカーってなるのって、朝日だよね。
あの絵はきっと西に住む人が考えたんだって思った。

レッスンは上々。
先週の金曜に提出終わって、それから書いたからねー。
10~15分程度のレッスンだったけど、勉強になりました。
雪女の研究をせねばならないようだ・・・w

でね、家帰って必死に勉強デス。音楽史の。
新音楽史、音楽英和事典を使っても全然調べたらず(問題がマイナー)
大学入試で使った「楽典」を使い
更には国語辞典、カタカナ新語辞典もフル活用。
でも、20題調べた内の6題ほどまるで無いんですがー。。。

でもま、わかんなかったらウィキペディア(みんなで情報寄せ集めて作る巨大ネット辞書)で調べりゃ、ちょっとはあるだろ。
無くてもインターネットのどっかにあるだろ。
って思ってたら、、、

ウィキペディアにどっしり載ってやがる・・・!!!orz
あんなに調べまくったのにー(T△T)

まーいーです。
明日からウィキ使うから。。。

で、音楽史の解答ね。
長いので”続き”をぽちっとなー(・ω・)ノ

まずは平成17年度の問題。昨日載せたやつ。
ちなみに、インターネットの応用と、自分で調べたやつをまぜこぜにしてます。



1.リズム・モード
9世紀ごろから興ったポリフォニーの発達に伴い、書く声部の時間的な動きを表すために6つのリズムモードが12~13世紀にかけてノートルダム楽派やオルガヌムやモッテトに使用されていた。しかし曖昧な点が多かったため、定量記譜法の発達に伴い使用されなくなった。それぞれのモードにはギリシア語の名称がつけられた。

2.モンテヴェルディ
16世紀から17世紀にかけてのイタリアの作曲家。ヴァイオリン奏者、歌手でもあった。彼のマドリガーレは、マドリガーレ作曲法の頂点を示す。マドリガーレやオペラに優れた作品を残した。彼の代表作<オルフェオ>は、フィレンツェのカメラータの新技法を同化したうえで、さらに独自の力強い劇的表現を達成した作品。

3.オラトリオ
1640年頃、イタリアで始まったクラシック音楽における楽曲の種類。日本語では聖譚曲と呼ばれる。バロック音楽を代表する楽曲形式のひとつである。オラトリオとは本来、祈祷所を意味し、教会や修道院に設けられた祈祷用の部屋をいう。修養にカンタータやマドリガーレなどを取り入れたことが、オラトリオ形式を生んだ。

4.多感様式
18世紀後半のドイツ語圏で発達した作曲様式。バロック音楽の情緒論への反撥として発展した。軽快で精緻な、しかも装飾的な要素を加えた様式で、音楽史では「ギャラント様式」と呼ばれ、1750年以後ドイツにおいて表情豊かな表現または感傷的な要素が加わり、「多感様式(感情過多様式)」とよばれるものになる。

5.ロシア五人組
19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団のこと。バラキレフを指導者とするロシア国民楽派のグループで、ロシア民族主義を標榜した作曲達による「五人組」と呼ばれるグループ。バラキレフ、ムソルグスキー、ボロディン、キュイ、リムスキー=コルサコフによって組織されている。

6.ミニマル・ミュージック
音の動きを最小限に抑えパターン化された音型を反復させる音楽。1960年代から盛んになった。単純な反復のリズムがメインであり、曲として成り立つ最低限度に近いほど展開も少ない。しかしそれらの中での微細な変化を聞き取るのが目的であり、全体的な視点から見れば決して無駄な反復ではなく音楽は徐々に展開していると言える。

7.山田検校(八橋検校ならぬ山田検校!!マイナーすぎ!!)
勝善、(斗養一)。宝暦7年江戸生れ、文政14年没。61歳。幼年期に失明。山田黒松(箏曲大意抄の著者)に箏を学ぶ。「初音」を作曲。生田流筝曲を江戸に広める目的で江戸へ下った長谷富検校の門人山田斗養一つまり山田検校の山田流筝曲は、生田流と十分に対抗できる勢力となって今日に至っている。
ちなみに検校とは、室町時代以降続いた「当道(とうどう)」という盲人組織における位階制度の最高位。平家琵琶、地歌・箏曲の演奏家、鍼灸・按摩などに従事する人たちが当道に属し、幕府も保護政策をとっていた。しかし、明治に入るとこの制度は廃止され、特権も失われたが、地歌・箏曲演奏家たちは独自の団体を組織し、この称号を授与している。

8.明治撰定譜(マイナーなところより引用。不明確。)
雅楽の演奏に使われている三管三鼓の楽譜。明治時代に編曲し、各楽器別楽譜に直された。楽曲撰定作業を行った人々は当然一流であったようだが、「誰が」ということはわかっていない。楽譜にはつくられた日は書かれているが名は書かれていないので、謎の一つ。

9.道行(みちゆき。同音でコートやら道がどーのやらあるけど、たぶん問題の趣旨は歌舞伎用語。)
歌舞伎で男女が“情愛”をもって目的地へ急ぐ旅路、その切ない情緒を舞踊であらわす場面のこと。登場する恋仲の男女が“道行”になる前に不幸があったか、または、この先不幸があるか、どちらにせよ物語は悲しい展開になることが多い。“道行”は物語から少し独立して主に唄と音楽、そして踊りを主にした舞台になっている。

10.
雅楽に用いられるリード楽器で、奈良時代に中国より入ってきた。吹いたり吸ったりして演奏し、17本の竹の管により合竹と称する独特の和音が出る。通常は基本の合竹による奏法が中心であるが、調子、音取、催馬楽、朗詠では一竹(単音で旋律を奏すること)や特殊な合竹も用いる。その音色は天から差し込む光を表すといわれている。




続いて平成16年度の問題。
1.カメラータ
フィレンツェの貴族を中心に組織されたグループ。彼らは古典学を研究した結果、古代ギリシアの劇で音楽が重要な役割をはたしていたことを知り、ポリフォニーのマドリガーレ様式が劇的な表現に適さない事にも気付いた。そこで彼らは、自分達の劇のために新しい歌唱様式を創始する。これが最初期のオペラの基礎となった。

2.ブフォン論争
1750年代にヨーロッパの知識人の間で起こった論争をさす用語である。議論の中心人物はフランスの作曲家ジャン=フィリップ・ラモーであり、その作品は、イタリア・オペラの愛好者から不自然・人為的と攻撃され、百科全書派の反王党派の人々からも批判されていた。論争自体は1764年にラモーが没すると沙汰止みとなった。

3.バルトーク
第一級のピアニストであり、バルカン半島の民族音楽の収集家、教育者で作曲家でもある。現代音楽の巨匠のひとり。彼の作品は、つねにハンガリー的な音楽語法と個人主義的な強力な精神で満たされている。彼の音楽は全体として、旋律、和声、リズム、調性や構造において現代手法のほとんどを駆使している。

4.シャコンヌ
3拍子のスペイン舞曲を基にした重壮な器楽曲。16世紀にメキシコからスペインに渡り、イタリア、ドイツで器楽形式として発展したもので、バロック時代の重要な器楽形式となった。和声を重んじた8小説の低音主題が絶えずリピートされ、上声部がオブリガード的に変形するもので、ヴァリエーション形式の一種である。

5.「牧神の午後への前奏曲」
フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1892年から1894年にかけて作曲した管弦楽作品であり、彼の出世作である。この「前奏曲」は、ドビュッシーが彼の親友であった詩人マラルメの『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受け、この詩に着想し書かれた作品である。尚、この作品は室内楽や吹奏楽等、編曲が行われている。

6.マンハイム楽派
マンハイム楽派は、18世紀ドイツでマンハイムに宮廷を置いたプファルツ選帝侯のカール・テオドールの宮廷楽団を中心に活躍した作曲家達を指す。ドイツ前古典派のうち、のちの交響曲に発展する楽曲形式を確立した。宮廷楽長ヨハン・シュターミッツの息子カール・シュターミッツの時代になって最盛期を迎える。

7.文楽
文楽(ぶんらく)は、初世植村文楽軒に始まる日本の伝統芸能である人形劇、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の一派。特に大阪で発展した人形浄瑠璃の称として用いられ、現在では人形浄瑠璃の代名詞的存在。世界無形遺産、重要無形文化財。文楽成立以前の人形浄瑠璃については、浄瑠璃も参照のこと。

8.新日本音楽
大正9年(1920)に本居長世と宮城道雄が有楽座で開いた演奏会の斬新きわまりない感興に対して、吉田晴風が名付けた名称である。1920年代から30年代にかけて展開された宮城道雄を中心とする新しい創作活動。しかし宮城自身はこの名称を好まなかった。それも原因したのか、次第にこの名称は用いられなくなった。

9.井筒
『井筒』は、能を代表する曲の一つ。世阿弥作と考えられ、世阿弥自身この曲には自信があったという。多くの場合男性が女装して演ずるシテの女が、更に男装するのも特徴である。『伊勢物語』23段の「筒井筒」に取材した複式夢幻能であり、若い女性をシテとした、序ノ舞を舞う大小ものである。なお、井筒は井戸のことである。

10.三線
三線は三本の弦をもつ楽器で、沖縄県および鹿児島県の奄美地方で広く使用されており、琉球三味線とも言う。中国の三弦(サンシェン)を起源とするという。16世紀には堺に伝わり、三味線の元になったといわれる。演奏は琉球王朝の宮廷音楽として発達した古典と、庶民の間に歌い継がれてきた民謡とに大きく分けられる。
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わたしのこと
HN:
あじゃみ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/10/21
職業:
専業主婦
趣味:
音楽関係
自己紹介:
音大作曲科卒。
某大学で事務職に就いた後、
2012年4月より専業主婦に。
8月に出産予定!

たまに編曲してますよ〜。
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