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2006年GWより。日常生活を徒然と。
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木曜日は本来学校に行く予定は無かったのですが、院試関連で学校に行くことになる。

最近、学校に行っては必ず図書館に寄る。
ぶっちゃけ半年の延滞+半年の延滞罰則により、一年間借りられませんでした・・・。
楽譜が自分のものと混ざって、なかなか見つからなかったんです・・・。
その期間を経て、約1年ぶりに、今、資料借りたい放題。
どれだけアホな事をしたのか、最近ひしひしと感じます。

1,2年の頃は現代音楽を聴くと眠くなるし、大して楽しくないっていうのが本音でした。
それがだんだん面白みを感じてきて、興味を感じてきたのがここ1~2年。
しかしその間に罰則を受けたため、実は作曲を教わり4年目になるN先生の曲をあまり知らなかったんです。
メジャーなものは学外の公立図書館にもいくつか置いてあったんで、それを聴いて満足してた。
3、4枚のCDを聴いていたのですが、それは氷山の一角であったことを近年知る。
大学の図書館には彼のCDが数十枚ある。
楽譜が出版されていても音源が無いっていうことは現代音楽においては多々あることなんですが、
先生の作品に収録されていない作品なんてあるんだろうか??
作品自体の量にも改めて感心してしまいました。
てゆーか、うちの先生の出したCDはあって当然かな。館長だしw

そして、今まで聴いてなかった先生の音楽に、自分が作りたいものの沢山のヒントが隠されていて、わくわくする事が多いです。
良い傾向だと思う。
しかし大学のCDは貸し出し出来るときとできない時があり、しかも一回2枚まで。
借りたその日に聴けなくても、i-Podのモゥ氏にストックしておいてあとで聴く。
もはやi-Pod無しでの生活は考えられないです。自分の持ってる音源は全てここにあり。

今日は合唱曲とピアノ曲のCDを借りたんですが、2枚とも当たりだった!
ストックするだけだったはずなのに、思わず聴き込んでしまいました(^^;)
あー時間が押してしまったYO!
やらなきゃ!



あ、あと、木曜日、スウェーデンからエアメールが届いた。
ストックホルムきれー!




てな訳で、音楽史の時間です。

1.カメラータ
16世紀後半のフィレンツェの人文主義者や音楽家、詩人、その他の知識人が集って結成した音楽サークルの名称を指す。この参加者の議論によって、「古代ギリシャ音楽」の復興、ひいてはオペラの創出が目論まれた。主に1570年代から1580年代にかけてカメラータの集会がもたれ、フィレンツェ中のあらゆる著名人が常客として招かれたことで有名であった。バルディ以外の主要な同人は、ジュリオ・カッチーニ、ピエトロ・ストロッツィ、(ガリレオ・ガリレイの父)ヴィンチェンツォ・ガリレイである。

2.グレゴリウス聖歌
別名グレゴリオ聖歌
西方教会の単旋律聖歌の基軸をなす聖歌で、ローマ・カトリック教会で用いられる単旋律、無伴奏の宗教音楽である。主に9世紀から10世紀にかけて、西欧から中欧のフランク人の居住地域で発展し、後に改変を受けながら伝承した。グレゴリオ聖歌の旋律はネウマ譜を用いて記譜され、このネウマ譜が16世紀に現代でも用いられる五線譜に発展した。またグレゴリオ聖歌はポリフォニーの発展に決定的な役割を果たした。

3.交響詩
管弦楽によって演奏される単一の楽章からなる標題音楽のうち、作曲家によって交響詩と名付けられたものを言う。音詩や交響幻想曲などと名付けられた楽曲も、交響詩として扱われることが多い。標題つきの単一楽章の交響曲の一部には、交響詩と名付けても差し支えないようなものがある(リヒャルト・シュトラウスの『アルプス交響曲』など)。ロマン派を特徴づける管弦楽曲である。原則として単一楽章で切れ目なく演奏される。楽曲の形式は全く自由である。

4.主題労作(これ以上はようわからん)
動機が作品全体で何度も活用される手法。動機労作とも言う。曲全体に統一感を与る。

5.12音音楽
12音技法を使用した音楽。
オクターヴを構成する12の音のどれもが,すべて同一の資格を持つという前提に始まる。言い換えれば,機能和声による音楽における主音や属音といった機能をまったく持たせないことなのである。そして,その12の音すべてを1回ずつ使用する形で,セリーと呼ばれる音列を作り,このセリーをいろいろと操作して音楽を作っていくのである。したがって,あまり長大な曲にこの技法を用いるのはふさわしいことではなく,また音の積み重
ねによって生じる機能和声的な性格を回避するためには,どうしても線的な対位法の手法を使わなければならなかった。このようなことから,12音技法による曲は概して短いものが多く,中にはわずか数小節にすぎないという例もある。

6.伎楽
ぎがく。日本の伝統演劇のひとつ。日本書紀によれば、612年、推古天皇の時代に百済人味摩之(みまし)によって中国南部の呉から伝えられたという。奈良時代の大仏開眼供養(西暦752年/天平勝宝4年)でも上演され、正倉院には、その時使用されたと思われる伎楽面が残されている。行道という一種のパレードと、滑稽味をおびた無言劇で構成され、飛鳥時代から奈良時代に寺院の法会でさかんに上演されたが、次第に衰退した。

7.篳篥(ひちりき)
雅楽や、雅楽の流れを汲む近代に作られた神楽などで使う管楽器の1つ。吹き物。「大篳篥」と「小篳篥」の2種があり、一般には篳篥といえば「小篳篥」を指す。
篳篥は漆を塗った竹の管で作られ、表側に7つ、裏側に2つの孔を持つ縦笛である。発音体にはダブルリードのような形状をした葦舌(した)を用いる。その構造とは、乾燥した蘆(あし)の管の一方に熱を加えてつぶし(ひしぎ)、責(せめ)と呼ばれる輪をはめ込む。また、もう一方には図紙(ずがみ)と呼ばれる和紙が何重にも厚く巻きつけて作られている。そして図紙のほうを篳篥本体の上部から差し込んで演奏する。西洋楽器のオーボエに近い構造である。

8.風姿花伝
世阿弥が記した能の理論書。世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。亡父観阿弥の教えをもとに、世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
成立は15世紀の初め頃。全七編あり、最初の三つが応永7年(1400年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある。最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。
内容は、能の修行法、心得、演技論、演出論、歴史、能の美学など。能の芸道論としても読めるし、また日本の美学の古典ともいう。Kadensho、Flowering Spirit などの題名で何度か外国語訳もされ、日本国外でも評価されている。

9.宮城道雄
明治27年(1894年)4月7日 - 昭和31年(1956年)6月25日)は、兵庫県神戸市生まれの作曲家・箏曲家である。旧姓は管(すが)。十七弦の発明者としても知られる。 『雨の念仏』(昭和10年)などの随筆により文筆家としての評価も高い。作家の内田百閒とは親友同士であり、交友も深く、双方の随筆でたびたび言及していた。筝と尺八の『春の海』は正月番組の定番で使われている。

10.六段の調
八橋検校が作曲した筝曲。正月に流れることもしばしば。




その次の年度の問題。
1.フランドル楽派(全部重要だったので長文になった・・・)
15世紀後半から16世紀、フランドル地方を中心に活躍したルネサンス音楽を代表する作曲家達である。15世紀中頃にルネサンス音楽を開拓したブルゴーニュ楽派と合わせて、かつてはネーデルランド楽派と呼ばれていた。
15世紀のデュファイに始まるブルゴーニュ楽派を引き継ぎ、16世紀中期になるとフランドルだけでなくイタリアを始めヨーロッパ全体で支配的な地位を占めるようになった。つまり、フランドル楽派の様式は、ヨーロッパ全体に普遍的な様式となり、それが次のバロック音楽を準備した。
その音楽技法は、それぞれの声部が対等の価値をもちお互いに旋律要素を模倣しあいながら展開していく通模倣様式が用いられた。和声では、デュファイらのブルゴーニュ楽派が3声での書法が中心だったが、フランドル楽派は4声のポリフォニーによる楽曲を作った。ミサ、モテット、シャンソンが主な作品であるが、とりわけオケゲム、ジョスカン・デ・プレ、ラッソによるミサ曲はこの時代を代表する音楽作品となっている。15世紀は厳格なカノン的書法が優勢だが、16世紀にはこの傾向は廃れて、自由な模倣形式へと進化した。

2.オルガヌム
中世ヨーロッパで流行した、合唱の技法である。後に栄えることとなるポリフォニー・対位法の原点である。初期のオルガヌムは二声の合唱であり、第一声が旋律を歌い、第二声がその完全四度または完全五度上を歌う形式であった。ただし曲の開始と終止では両声部はユニゾンで重ねられた。初期オルガヌムにおける定旋律の完全4度または完全5度での対旋律の付加は多声音楽における対位法の発達のみならず、調性音楽での移調を生み出すきっかけをつくったといえる。

3.ライトモティーフ
リヒャルト・ワーグナーのオペラに用いられる短い動機で、曲の中で繰り返し使われ、人物や状況を表すものである。示導動機(じどうどうき)とも。 ライトモティーフの使用は、単純な繰り返しではなく、和声変化や対旋律として加えられるなど変奏・展開されることによって、登場人物の行為や感情、状況の変化などを端的に、あるいは象徴的に示唆するとともに、音楽的な統一をもたらしている。
ワーグナーが用いたライトモティーフの手法は、エクトル・ベルリオーズが幻想交響曲で使用したイデー・フィクス(固定楽想)にその前身が見られる。

4.通奏低音
バロック音楽において行われる演奏形態のひとつで、伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名がある。イタリア語のバッソコンティヌオの訳語であるが、ドイツ語のゲネラルバスもよく使われる。通例、チェロ、コントラバス、ファゴットなどの低音楽器と、リュート、チェンバロ、クラビコード、オルガンなどの和音の出せる楽器とで演奏される。楽譜は低音だけが示され、低音楽器は楽譜通り演奏するが、和音楽器では楽譜を見ながら和音を即興的に付けて演奏する。

5.偶然性の音楽
アメリカの作曲家ジョン・ケージが1950年代初頭に創始した現代音楽の潮流である。従来の西洋音楽は、作曲家が楽曲を綿密に構成し、その結果を確定的な形で楽譜に記すのが通例であった(通奏低音やカデンツァなどの例外はある)が、ケージは「易経」や「禅」(鈴木大拙)などの東洋思想の影響の下に、音楽に偶然性の要素を取り入れて、「作曲家による音の厳密なコントロール」というヨーロッパ的な音楽のあり方に見直しを求めた。具体的には、「作曲-演奏-聴取」という音楽の伝達過程の3要素のうちの1つないし複数に、偶然が入り込むための「仕掛け」を施す。例えば、作曲の時にコインを投げて音を決めてゆく、紙のしみを音符に見立てて音を選んでゆく、五線譜ではない図形楽譜を用いて奏者の即興に任せる、というようなものである。

6.音楽取調掛
明治12(1879)年に設けられる。音楽研究および西洋音楽をベースとした音楽教育(唱歌教育)の形成の取り組みが始められた。音楽取調掛を率いたのは伊沢修二だが、ほかに神津仙三郎、山勢松韻、内田彌一、芝葛鎮(ふじつね)、上眞行(うえ・さねみち)らの名を挙げることができる。後に近代的な日本美術の形成に力を尽くすことになる岡倉覚三(岡倉天心)は、音楽取調掛の最初期に通訳としてかかわった。さらに、米国の音楽教育家であるメーソンの存在を忘れるわけにはいかない。メーソンは明治13(1880)年の春に来日し、明治15(1882)年の夏まで滞日し、明治国家の西洋音楽受容に一定の役割を果たしたと言える。メーソン離日後、しばらく後任はいなかった。明治16(1883)年6月からは、かねてより海軍軍楽隊教師として滞日していたエッケルト(ドイツ)が、音楽取調掛を指導するようになる。音楽取調掛は一時音楽取調所と称されるがまたすぐに元に戻る。明治20(1887)年には東京音楽学校に昇格。

7.糸竹初心集
約一世紀の時を費やして作られた、日本最古の一節切・筝・三味線の独習入門書。中村宗三著。『糸竹初心集』が刊行されたことは音楽史上、特筆されるべきことだった。 一連の改良の歴史は、独立した楽器としての改良ではなく、時代とともに発生した諸流派の伴奏楽器としての工夫改良だった。日本人の表現に対する繊細な感覚が三味線の音色に対しても追究されていった。

8.能管
日本の横笛の一つ。能だけではなく歌舞伎、寄席囃子や祇園囃子でも用いられる。竹製のエアリード楽器の一つであるが、「のど」と呼ばれる部分があるのが特徴である。40cm程の長さで、七つの指穴を持ち、穴の周囲は漆で固められている。雅楽に用いられる龍笛と同じく、女竹(篠竹)製である。乾燥し煤けたものが用いられる(煤竹)。場合によっては竹を縦に割って裏返し、硬い部分を内面に向ける。管の内部には厚く漆を塗る。外側には桜の皮が巻いてある(樺巻き)。全体として先細りの管を用いる。
歌口と一番手前の指穴との間に「のど」と呼ばれる厚さ2mm程の竹管が挿入され、狭隘部を形成しているのが特徴である。この部分のために、共鳴モードの成立が妨げられ、西洋の平均律はもちろん、日本の各種音階とも異なる独特の音階と、極めてかん高いヒシギ音が得られる。

9.催馬楽
催馬楽(さいばら)とは、古代歌謡の一つ。催馬楽の語源については馬子唄や唐楽からきたとする説などがあるが定かではない。平安時代初期に一般庶民の間で発生した歌謡が宮廷貴族の間に取り入れられたものである。元々一般庶民で歌われていたものであることから、特に旋律は定まっていなかったが、大歌として宮廷に取り入れられ、雅楽に組み込まれてから何度か符の選定が行われ、平安時代中期には律・呂という2種類の旋法が定まった。歌詞には古代の素朴な恋愛などを歌ったものが多く、4句切れの旋頭歌など様々な歌詞の形体をなしている。催馬楽の歌い方は流派によって異なるが、伴奏に琵琶、筝、笙などがもちいられ、舞はない。

10.竹本義太夫
江戸時代の浄瑠璃太夫、義太夫節の開祖である。初期には清水理太夫と名乗る。本名五郎兵衛。摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。貞享元年(1684年)、大坂道頓堀に竹本座を開設し、1683年に刊行された近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演した。翌年より近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を掛けた。近松が竹本座のために書きおろした最初の作品は『出世景清』。竹本義太夫以前のものを古浄瑠璃と呼んで区別するほどの強い影響を浄瑠璃に与えた。厳密には、この『出世景清』以前が古浄瑠璃、『出世景清』以降が当流浄瑠璃と呼ばれる。

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わたしのこと
HN:
あじゃみ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/10/21
職業:
専業主婦
趣味:
音楽関係
自己紹介:
音大作曲科卒。
某大学で事務職に就いた後、
2012年4月より専業主婦に。
8月に出産予定!

たまに編曲してますよ〜。
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