2006年GWより。日常生活を徒然と。
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へ ん し ゅ う し て い た き じ が ぜ ん ぶ き え て し ま っ た
ふぉーーーーーーーーーーーーーーーー(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)
あ、ちなみに「音楽史のオベンキョウをする」のところは消えてないです。
この、本文です。
うだうだ暗~い気持ちを書いて、最後に明るい内容で締めようとしました。
テレビでやってたランキングが印象的で、あれ4位なんだったっけな、っておもって検索しようとした結果、記事のあったウィンドウに開かれてしまい、おじゃんになったのでした。
ふぉーーーーーーーーーーorz orz orz orz orz orz orz
もーいーです。
あたしは「赤ちゃんがうまれてきてくれてありがとう」を書こうとしてたんです。
要約すればそれだけでした。
あと、海外に住むときには、小物干し竿、掃除に使うローラー、冷えピタ、ホッカイロ、洗濯ネットは忘れずに、ってことです。
あーあ。
あーあ。
あーあ。
でも、最初にやなこと書くだけ書いたから(消えたけど)
少しすっきりしたかな。
院試まであと5日ってとこです。
やばやばです。スケジュール的にもきついです。
がんばりますです。。。
ふぉーーーーーーーーーーーーーーーー(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)(T△T)
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1.モノディー
16世紀終わりにフィレンツェ・ローマを中心に生まれた新しい独唱スタイルの音楽。独唱、または重唱の歌手と伴奏の楽器で演奏され、多くは弾き語りであった。それまでの伝統を音楽的間違いとし、独唱また少ない人数の重唱に伴奏楽器を伴う音楽が生まれ、これがレチタール・カンタンド(語りながら歌う)と呼ばれる。モノディは、この様式の独唱歌曲を指す言葉だが、一般にはこのレチタール・カンタンド様式を指して使われることが多い。作曲の上での高い自由度ゆえに、極めて幅の広い音楽表現が可能になり、バロック音楽誕生の一つのきっかけとなった。主な作曲者にジュリオ・カッチーニやヤコポ・ペーリが挙げられる。
2.新ウィーン楽派(第二次ウィーン楽派)
主に1900年代初頭にかけて、ウィーンで活躍した作曲家の集団。アルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクの3人は、シェーンベルクを師とし、ベルクとヴェーベルンはその弟子である。無調音楽および十二音技法を開拓し、クラシック音楽の分野において現代音楽と呼ばれている時代や様式の区分に、最も重要なかかわりを持つ。当時の音楽界において最も前衛的な立場にあり、美術家のワシリー・カンディンスキー、哲学思想家のテオドール・アドルノなどとも関わりを持った。
3.複合唱様式(コーリ・スペッツァーティ)
ルネサンス音楽とバロック音楽における、とりわけモテットの作曲技法の一つ。空間的に離れた位置にある複数の合唱隊が、交互に歌い継ぐという書法が特徴的。盛期ルネサンスの多声音楽において優勢を占め、様式上の大きな発展を遂げてそのままバロック音楽の形成を導いた。「コーリ・スペッツァーティ(cori spezzati)」とはイタリア語で、直訳すると「分けられた合唱隊」という意味で、「分割合唱」という訳語の由来となっている。一方、「複合唱」という訳語は、ドイツ語の Mehrchörigkeit ないしはその英訳である polychoral style に由来する。
4.グィード・ダレッツォ
ドレミ唱法の創始者。活躍した年代から類推して991?~1033以後とされているが、そもそもそんな人物はいなかったという極端な説もある。当時の15音だった音階を20にひろげ、今日のC-dur、F-dur、G-durの、後世の機能和声の萌芽となる音階構成を創った。これらの功績はめざましく、おそらく彼の時代に錚々たる音楽学者たちが集まって新体系を確立し、その大将として「グィード」の名前を推し出したのではないだろうかと思われる。
5.性格的小品(キャラクター・ピース)
ロマン派およびその前後の時代に、自由な発想によって作られたピアノのための短い楽曲をいう。しばしば数曲まとめられて、曲集とされる。主な曲名として、スケルツォ、バラード、マズルカ、ワルツ、ポロネーズ、インテルメッツォ、カプリッチョ、ラプソディー、ファンタジア、プレリュード、ノクターン、エチュードなどがある。
6.平曲
平曲(へいきょく)は今から約八百年前の平安末期の平家一門の興亡、源平合戦を天台宗の仏教歌謡の曲調にのせて唄わせたのが始まりといわれる。当時は現代と違い民衆は字が読めないので、この盲目の僧、琵琶法師によって語られる平家の物語は、多くの人々の心を捉えた。平曲は室町時代に全盛期を迎える。読み物としての平家物語の本来の形は語り物であり、平曲は全部で二百曲近くある。これを大きく分けると、合戦などの勇壮な曲の多い拾物、悲しい話の多い節物、秘曲、灌頂の巻などに分けられる。また、平家琵琶は雅楽の琵琶をひとまわり小さくしたもので、現在我々がよく耳にする薩摩琵琶よりも古く、歌に対する伴奏のような役目。平曲は日本の伝統文化の中でも、最も古く、能や狂言などその後の日本文化に大きな影響を与えた。
7.胡弓
同じ漢字にして3つの意味合いが取れる。
胡弓(こきゅう)は日本の擦弦楽器。最初に文献に現れるのは江戸時代初期であり、三味線と比較するとやや遅い。和楽器であり、多くのものは3本の弦を持ち(4本のものなどもある)、ほぼ三味線を小型にした形をしている。素材も三味線とほぼ同じ。音楽としては、胡弓楽、地唄、義太夫節などで用いられる。「三曲」のひとつであり、三曲合奏の構成楽器の一つ。また日本の民謡で、特に北陸から関西にかけて使用されるほか、各地の民俗芸能や一部の宗教において演奏される。特徴として、弾く弦を変えるために弓ではなく本体を回す。
胡弓 (くーちょー) は沖縄の擦弦楽器。本体は黒木(黒檀)やユシギ(イスの木)で作られ、胴は内地の胡弓と異なって椀型になっており(古くは椰子の実を二つに割って胴にした)、三線と同様にニシキヘビの皮を張る。弦は三線と同じく本来3本であったが、古典音楽の譜には三弦胡弓の最低音より低い音がある為、三線の名工で胡弓演奏家としても著名であった又吉真栄が低音用の弦を新たに設けた四弦胡弓を開発し、普及させた(三弦胡弓では1オクターブ上の音を弾いて代用していた)。奏法については内地の胡弓と同じく、弓ではなく本体を回転させて弦を移動し演奏する。その起源や、内地の胡弓との関連については不明。
胡弓 (こきゅう) は広義として擦弦楽器の総称。ことにアジアの擦弦楽器の総称として使われることがある。広義として、擦弦楽器を総称する時に「胡弓」の語を用いることがある。明治初期にはヴァイオリンも胡弓と呼ばれたことがある。一般的にはアジアの擦弦楽器を総称する時に使われることがあるが、定義は曖昧である。そのためもあり特に、中国の擦弦楽器である二胡、高胡などを俗に胡弓と呼ぶことすらある。
8.合竹
笙の和音のことを合竹という。譜面の中にある漢字は和音の記号。乙、凡、乞、十、下、一、工、行、比、美の合竹と呼ばれる音がある。
9.中尾都山
中尾都山(1876~1956)。尺八の流派、都山流を作った。古典尺八曲はほとんど独奏曲だったが、都山は合奏曲の本曲という新しい分野を開拓した。更に都山は地歌・箏曲に尺八の手付けを加え、三曲合奏(三味線・箏・尺八)における尺八の地位を高めた。尚、この流派の門人の名には皆「山」の文字が入れられている。
10.豊後節
浄瑠璃の一派。宮古路豊後掾の語り出でしもの。これより分派したる常盤津・富本・清元・新内等の總称にもいう。
この年度の問題は難易度高い気がス。。。orz
続いてその次ー
1.マドリガーレ
イタリア発祥の歌曲形式の名称。 マドリガーレには、時代も形式も異なる中世マドリガーレ(14世紀マドリガーレ)とルネサンス・マドリガーレの2種類の物がある。中世マドリガーレは直ぐに廃れてしまったために、一般にはマドリガーレと言うと後者を指す。中世マドリガーレとは、14世紀初頭のトレチェント音楽初期に、北イタリアのロンバルディア地方の宮廷で演奏された、イタリア最初の多声歌曲。3つの詩句でできた詩節が、間にリフレインされる詩句(リトルネッロ)を挟んで幾つか連なる。堅苦しい形式で感情表現が難しいために、この流行はすぐにバッラータに取って代わられ、以来この形式が復活する事はなかった。
ルネサンス・マドリガーレとは、16世紀初頭、フロットラの流行の中から突如現れた形式。詩節が無くリフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った。
2.イデー・フィックス
一つのテーマがどの楽章にも所々顔を出すという新しい手法。日本語訳だと固定観念。ベルリオーズが確立した。
3.コンチェルト・グロッソ
合奏協奏曲。バロック時代に用いられた音楽形式の一つ。合奏が、独奏楽器群(コンチェルティーノ)とオーケストラの総奏(リピエーノ コンチェルト・グロッソとも呼ぶ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する楽曲のことである。通常は4-6楽章によって構成されている。合奏協奏曲を作曲した有名な作曲家としては、リピエーノを拡大して管楽器を追加したヘンデルがいる。また、J.S.バッハもブランデンブルク協奏曲を大まかに合奏協奏曲の形式に沿って作曲している。特に、第2番はリコーダー、オーボエ、トランペット、そして独奏ヴァイオリンによるコンチェルティーノを持っている。
4.ノートル・ダム楽派
1200年前後、パリのノートルダム大聖堂で展開された中世西洋音楽の音楽様式。代表的な作曲家としては、レオニヌス、 ペロティヌスという2人があげられる。ノートルダム大聖堂での音楽の特徴は、グレゴリオ聖歌を長く延ばして、その上に細かい旋律が付けられた(オルガヌム)ことである。オルガヌムは ノートルダム楽派以前から作られていたが、この時代になると、声部も増え、定量記譜法が確立し、曲の構造が明確になった。この時代の様式を含めて、アルス・アンティクアと呼ばれる。
5.シュプレッヒシュティンメ
ドイツ語。”話し声”の意。半分語って、半分歌うこと。アルノルト・シェーンベルクが創始。彼の「月に憑かれたピエロ」が代表作。
6.八橋検校
寛永年間(1624年-1644年〉の初め頃大阪で三味線の分野で活躍した。その後江戸にくだり筑紫流筝曲を学んだ。この筝曲を基に現在の日本の筝の基礎を作り上げた。独奏楽器としての楽器や奏法の改良、段物などの楽式の定型化など、筝曲の発展に努めた。代表作に組歌『梅が枝』、『菜蕗』 (ふき)、『心尽し』、『雲井の曲』など。段ものの『六段の調』、『みだれ (輪舌 {りんぜつ} )』、『八段の調』も八橋の作と伝えられている。1636年(寛永13年)上洛して山住勾当と称し、1639年〈寛永16年)再び上洛して上永検校と称し、その後八橋検校と改名した。その芸術は高く評価され、磐城平藩専属の音楽家として五人扶持で召し抱えられたこともある。胡弓、三味線の名手でもあり、胡弓の弓の改良も行っている。
7.平ノリ
七五調の詞を調子よくすすめる拍子である。平ノリのは一種のシンコペーションと考えられ、文字と文字の間に拍がくる。
8.琵琶
東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。朝鮮半島にも伝えられたが、箏類に押されてあまり用いられなかった。ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、琵琶と書いて「ティパ」と発音する。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。
9.下座音楽
「下座」という言葉は、これは昔の芝居小屋の黒御簾(くろみす)の位置がもともと上手にあったものが劇場構造の変化(花道が出来た)、それに伴う演技の変化で下手に移されたことから生まれたもので、舞台上の一つの場所を示す言葉。その「下座」で演奏する音楽なので「下座音楽」と呼ばれる。古くは「外座」と書かれていた。
10.雅楽寮
雅楽寮(うたりょう)とは律令制において治部省に属する機関である。『和名抄』ではうたまいのつかさとされている。様々な公的行事で雅楽を演奏すること、また演奏者を養成することが職務である。演奏者として歌師・舞師・笛師・楽師が設置された。このうち前三者は倭楽(在来音楽)を、後者は雅楽(海外音楽)を担当した。楽師は令制では唐・新羅・高麗(高句麗)・百済及び呉楽である伎楽・腰鼓に分かれてそれぞれの音楽を担当した。また笛師の下には笛職人である笛工が付属した。平安時代以降は楽所や大歌所などに押されて衰退した。明治維新後、雅楽寮は楽所と統合されるなどの紆余曲折を経て宮内省式部職楽部(がくぶ)に改組され(1908年)、現在の宮内庁にそのまま引き継がれる。
次々ー
1.アルス・ノーヴァ
アルス・アンティクアに続く、中世西洋音楽の様式。フィリップ・ド・ヴィトリにより提起され、14世紀のフランス、イタリア(トレチェント音楽)でみられた。音楽の大部分は作曲者不詳であったが、フランスの ギヨーム・ド・マショーによる、シンコペーションやイソリズムを用いたモテットやミサ曲『ノートルダム・ミサ』が有名である。
2.トーン・クラスター
アメリカの作曲家ヘンリー・カウエルが用いた概念で、或る音名から別の音名までの全ての音を同時に発する房状和音のことを指す。カウエルは当時「クラスターは二度の和音の集合」と捉えていた。
3.楽劇
19世紀後半、リヒャルト・ワーグナーがオペラを諸芸術の総合体として考え、こうして生み出された作品は「楽劇」とよばれることになった。この中では「ライトモティーフ」と呼ばれる、特定の人物、もの、状態、感情などを表すために用いられた音楽的主題断片が用いられている。半音階的な和声、延々と連続する転調、周期性をもたない自由なフレーズ構成、対位法的なテクスチャー、そして合唱をあまり使用しない。
4.タブラチュア
記譜法の一種で、楽器固有の奏法を文字や数字で表示するものである。また、タブラチュア譜(タブ譜、奏法譜)は、それらを記載した楽譜である。五線譜の発達とともに廃れていったが、ポピュラー音楽の発展とともに再び広く使われるようになっている。現存する世界最古のタブラチュア譜は紀元前2世紀ギリシアのもので、デルフォイの神殿宝物庫石壁に刻まれていたものである。ただしこれは歌詞の上に音高を表す文字が刻まれているもので、現在のものとは違って音価は表されていない。現代に連なるタブラチュアが使われ始めたのは14世紀以降である。この時期は宗教音楽の発展とともに楽譜の必要性が高まり、楽器毎に進化を遂げていった。これは声楽も例外ではなく、これはやがて五線譜発展の一助となった。さらに鍵盤楽器のためにキーを数字や文字で示した鍵盤奏法譜、ダンスのステップを文字で示した舞曲譜なども現れた。
5.トリオ・ソナタ
17世紀末から18世紀初めにかけて特に人気のあった音楽形式。2つの旋律楽器と1つの通奏低音のために作曲され、3つの声部を形成するところから、「トリオソナタ」の名称がある。しかしながら、当時の演奏習慣では、通奏低音が2つ以上になることが普通だったため(ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュート、テオルボ、キタローネなどのいずれかの組み合わせ)、演奏者数が3人になるとは限らない。旋律楽器は、たいていはヴァイオリン2艇になるのが普通だが、オーボエ(シャリュモー)とヴァイオリン、フルートとヴァイオリンのような例もあり、バッハの《音楽の捧げもの》の有名なトリオ・ソナタは後者の代表例である。
6.乱拍子
乱拍子とは、囃子は小鼓だけ舞手は主人公のシテ方だけで演じられる、非常な緊迫感の中に静と動が混在する特殊な舞。「道成寺」では供養にやってきた女が山伏を焼き殺したときの鐘の下で、何か人間とは違う、恨みと恋しさが混在した、内に秘めた激しい思いを表現しているように見える。
7.日本の十二律
中国や日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法によって1オクターブ間に平均律でない半音の間隔で配された12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。
8.尺八本曲
尺八だけの独奏、あるいは連管(同じ旋律を大勢で吹く)で吹き、一般に神聖なものとして、扱われる場合が多い。そしてこれらの曲は師弟関係によって伝授されることによって、演奏出来る権利、あるいはまた自分の弟子に教えることが出来ると言った形態になっているものが大半。
9.段物
謡曲のなかの謡いどころ・及び舞どころでクセやキリに当てはまらないものをさす。この駒之段は、『小督』のなかの一部分。
10.現代邦楽
音楽のジャンルのひとつ。 琴・三味線・尺八等の和楽器による合奏が特徴。『現代邦楽』の認知度は低く、用法にもぶれが見える。特に宮城道雄らの曲は古典に分類されることが多い。『現邦(げんぽう)』、『現代曲』と略されることも多い。邦楽は、能や歌舞伎、長唄などとともに発展してきたという経緯があるため、雅楽を除いては、純粋に楽曲のみを鑑賞するという形式での演奏は行われなかった。明治に入っての明治新曲の時期、また大正時代以後に宮城道雄が西洋音楽の影響をうけ、邦楽と西洋音楽の融合である『春の海』を発表すると、それに触発されたように四世杵屋佐吉・中能島欣一・杵屋正邦といった演奏家が「楽曲のみを鑑賞するための邦楽」をつぎつぎと発表した。この時期の音楽を新日本音楽と呼ぶ。狭義としての現代邦楽の用語は、主に戦後に入ってからの作品を指す。1960年代後半より洋楽系の現代音楽の作曲家(日本人および幾人かの外国人も含む)の間に邦楽ブームと呼ばれる現象が起こり、邦楽の持つ音色や演奏美学が再認識された。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶・尺八とオーケストラのための)は、世界的に認知されたこの分野の傑作である。しかし大阪万博以後、世界レヴェルで前衛音楽全体が停滞するに伴って日本の現代音楽界も勢いを失い、この1960年代邦楽ブームはやがて沈静化した。
16世紀終わりにフィレンツェ・ローマを中心に生まれた新しい独唱スタイルの音楽。独唱、または重唱の歌手と伴奏の楽器で演奏され、多くは弾き語りであった。それまでの伝統を音楽的間違いとし、独唱また少ない人数の重唱に伴奏楽器を伴う音楽が生まれ、これがレチタール・カンタンド(語りながら歌う)と呼ばれる。モノディは、この様式の独唱歌曲を指す言葉だが、一般にはこのレチタール・カンタンド様式を指して使われることが多い。作曲の上での高い自由度ゆえに、極めて幅の広い音楽表現が可能になり、バロック音楽誕生の一つのきっかけとなった。主な作曲者にジュリオ・カッチーニやヤコポ・ペーリが挙げられる。
2.新ウィーン楽派(第二次ウィーン楽派)
主に1900年代初頭にかけて、ウィーンで活躍した作曲家の集団。アルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクの3人は、シェーンベルクを師とし、ベルクとヴェーベルンはその弟子である。無調音楽および十二音技法を開拓し、クラシック音楽の分野において現代音楽と呼ばれている時代や様式の区分に、最も重要なかかわりを持つ。当時の音楽界において最も前衛的な立場にあり、美術家のワシリー・カンディンスキー、哲学思想家のテオドール・アドルノなどとも関わりを持った。
3.複合唱様式(コーリ・スペッツァーティ)
ルネサンス音楽とバロック音楽における、とりわけモテットの作曲技法の一つ。空間的に離れた位置にある複数の合唱隊が、交互に歌い継ぐという書法が特徴的。盛期ルネサンスの多声音楽において優勢を占め、様式上の大きな発展を遂げてそのままバロック音楽の形成を導いた。「コーリ・スペッツァーティ(cori spezzati)」とはイタリア語で、直訳すると「分けられた合唱隊」という意味で、「分割合唱」という訳語の由来となっている。一方、「複合唱」という訳語は、ドイツ語の Mehrchörigkeit ないしはその英訳である polychoral style に由来する。
4.グィード・ダレッツォ
ドレミ唱法の創始者。活躍した年代から類推して991?~1033以後とされているが、そもそもそんな人物はいなかったという極端な説もある。当時の15音だった音階を20にひろげ、今日のC-dur、F-dur、G-durの、後世の機能和声の萌芽となる音階構成を創った。これらの功績はめざましく、おそらく彼の時代に錚々たる音楽学者たちが集まって新体系を確立し、その大将として「グィード」の名前を推し出したのではないだろうかと思われる。
5.性格的小品(キャラクター・ピース)
ロマン派およびその前後の時代に、自由な発想によって作られたピアノのための短い楽曲をいう。しばしば数曲まとめられて、曲集とされる。主な曲名として、スケルツォ、バラード、マズルカ、ワルツ、ポロネーズ、インテルメッツォ、カプリッチョ、ラプソディー、ファンタジア、プレリュード、ノクターン、エチュードなどがある。
6.平曲
平曲(へいきょく)は今から約八百年前の平安末期の平家一門の興亡、源平合戦を天台宗の仏教歌謡の曲調にのせて唄わせたのが始まりといわれる。当時は現代と違い民衆は字が読めないので、この盲目の僧、琵琶法師によって語られる平家の物語は、多くの人々の心を捉えた。平曲は室町時代に全盛期を迎える。読み物としての平家物語の本来の形は語り物であり、平曲は全部で二百曲近くある。これを大きく分けると、合戦などの勇壮な曲の多い拾物、悲しい話の多い節物、秘曲、灌頂の巻などに分けられる。また、平家琵琶は雅楽の琵琶をひとまわり小さくしたもので、現在我々がよく耳にする薩摩琵琶よりも古く、歌に対する伴奏のような役目。平曲は日本の伝統文化の中でも、最も古く、能や狂言などその後の日本文化に大きな影響を与えた。
7.胡弓
同じ漢字にして3つの意味合いが取れる。
胡弓(こきゅう)は日本の擦弦楽器。最初に文献に現れるのは江戸時代初期であり、三味線と比較するとやや遅い。和楽器であり、多くのものは3本の弦を持ち(4本のものなどもある)、ほぼ三味線を小型にした形をしている。素材も三味線とほぼ同じ。音楽としては、胡弓楽、地唄、義太夫節などで用いられる。「三曲」のひとつであり、三曲合奏の構成楽器の一つ。また日本の民謡で、特に北陸から関西にかけて使用されるほか、各地の民俗芸能や一部の宗教において演奏される。特徴として、弾く弦を変えるために弓ではなく本体を回す。
胡弓 (くーちょー) は沖縄の擦弦楽器。本体は黒木(黒檀)やユシギ(イスの木)で作られ、胴は内地の胡弓と異なって椀型になっており(古くは椰子の実を二つに割って胴にした)、三線と同様にニシキヘビの皮を張る。弦は三線と同じく本来3本であったが、古典音楽の譜には三弦胡弓の最低音より低い音がある為、三線の名工で胡弓演奏家としても著名であった又吉真栄が低音用の弦を新たに設けた四弦胡弓を開発し、普及させた(三弦胡弓では1オクターブ上の音を弾いて代用していた)。奏法については内地の胡弓と同じく、弓ではなく本体を回転させて弦を移動し演奏する。その起源や、内地の胡弓との関連については不明。
胡弓 (こきゅう) は広義として擦弦楽器の総称。ことにアジアの擦弦楽器の総称として使われることがある。広義として、擦弦楽器を総称する時に「胡弓」の語を用いることがある。明治初期にはヴァイオリンも胡弓と呼ばれたことがある。一般的にはアジアの擦弦楽器を総称する時に使われることがあるが、定義は曖昧である。そのためもあり特に、中国の擦弦楽器である二胡、高胡などを俗に胡弓と呼ぶことすらある。
8.合竹
笙の和音のことを合竹という。譜面の中にある漢字は和音の記号。乙、凡、乞、十、下、一、工、行、比、美の合竹と呼ばれる音がある。
9.中尾都山
中尾都山(1876~1956)。尺八の流派、都山流を作った。古典尺八曲はほとんど独奏曲だったが、都山は合奏曲の本曲という新しい分野を開拓した。更に都山は地歌・箏曲に尺八の手付けを加え、三曲合奏(三味線・箏・尺八)における尺八の地位を高めた。尚、この流派の門人の名には皆「山」の文字が入れられている。
10.豊後節
浄瑠璃の一派。宮古路豊後掾の語り出でしもの。これより分派したる常盤津・富本・清元・新内等の總称にもいう。
この年度の問題は難易度高い気がス。。。orz
続いてその次ー
1.マドリガーレ
イタリア発祥の歌曲形式の名称。 マドリガーレには、時代も形式も異なる中世マドリガーレ(14世紀マドリガーレ)とルネサンス・マドリガーレの2種類の物がある。中世マドリガーレは直ぐに廃れてしまったために、一般にはマドリガーレと言うと後者を指す。中世マドリガーレとは、14世紀初頭のトレチェント音楽初期に、北イタリアのロンバルディア地方の宮廷で演奏された、イタリア最初の多声歌曲。3つの詩句でできた詩節が、間にリフレインされる詩句(リトルネッロ)を挟んで幾つか連なる。堅苦しい形式で感情表現が難しいために、この流行はすぐにバッラータに取って代わられ、以来この形式が復活する事はなかった。
ルネサンス・マドリガーレとは、16世紀初頭、フロットラの流行の中から突如現れた形式。詩節が無くリフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った。
2.イデー・フィックス
一つのテーマがどの楽章にも所々顔を出すという新しい手法。日本語訳だと固定観念。ベルリオーズが確立した。
3.コンチェルト・グロッソ
合奏協奏曲。バロック時代に用いられた音楽形式の一つ。合奏が、独奏楽器群(コンチェルティーノ)とオーケストラの総奏(リピエーノ コンチェルト・グロッソとも呼ぶ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する楽曲のことである。通常は4-6楽章によって構成されている。合奏協奏曲を作曲した有名な作曲家としては、リピエーノを拡大して管楽器を追加したヘンデルがいる。また、J.S.バッハもブランデンブルク協奏曲を大まかに合奏協奏曲の形式に沿って作曲している。特に、第2番はリコーダー、オーボエ、トランペット、そして独奏ヴァイオリンによるコンチェルティーノを持っている。
4.ノートル・ダム楽派
1200年前後、パリのノートルダム大聖堂で展開された中世西洋音楽の音楽様式。代表的な作曲家としては、レオニヌス、 ペロティヌスという2人があげられる。ノートルダム大聖堂での音楽の特徴は、グレゴリオ聖歌を長く延ばして、その上に細かい旋律が付けられた(オルガヌム)ことである。オルガヌムは ノートルダム楽派以前から作られていたが、この時代になると、声部も増え、定量記譜法が確立し、曲の構造が明確になった。この時代の様式を含めて、アルス・アンティクアと呼ばれる。
5.シュプレッヒシュティンメ
ドイツ語。”話し声”の意。半分語って、半分歌うこと。アルノルト・シェーンベルクが創始。彼の「月に憑かれたピエロ」が代表作。
6.八橋検校
寛永年間(1624年-1644年〉の初め頃大阪で三味線の分野で活躍した。その後江戸にくだり筑紫流筝曲を学んだ。この筝曲を基に現在の日本の筝の基礎を作り上げた。独奏楽器としての楽器や奏法の改良、段物などの楽式の定型化など、筝曲の発展に努めた。代表作に組歌『梅が枝』、『菜蕗』 (ふき)、『心尽し』、『雲井の曲』など。段ものの『六段の調』、『みだれ (輪舌 {りんぜつ} )』、『八段の調』も八橋の作と伝えられている。1636年(寛永13年)上洛して山住勾当と称し、1639年〈寛永16年)再び上洛して上永検校と称し、その後八橋検校と改名した。その芸術は高く評価され、磐城平藩専属の音楽家として五人扶持で召し抱えられたこともある。胡弓、三味線の名手でもあり、胡弓の弓の改良も行っている。
7.平ノリ
七五調の詞を調子よくすすめる拍子である。平ノリのは一種のシンコペーションと考えられ、文字と文字の間に拍がくる。
8.琵琶
東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。朝鮮半島にも伝えられたが、箏類に押されてあまり用いられなかった。ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、琵琶と書いて「ティパ」と発音する。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。
9.下座音楽
「下座」という言葉は、これは昔の芝居小屋の黒御簾(くろみす)の位置がもともと上手にあったものが劇場構造の変化(花道が出来た)、それに伴う演技の変化で下手に移されたことから生まれたもので、舞台上の一つの場所を示す言葉。その「下座」で演奏する音楽なので「下座音楽」と呼ばれる。古くは「外座」と書かれていた。
10.雅楽寮
雅楽寮(うたりょう)とは律令制において治部省に属する機関である。『和名抄』ではうたまいのつかさとされている。様々な公的行事で雅楽を演奏すること、また演奏者を養成することが職務である。演奏者として歌師・舞師・笛師・楽師が設置された。このうち前三者は倭楽(在来音楽)を、後者は雅楽(海外音楽)を担当した。楽師は令制では唐・新羅・高麗(高句麗)・百済及び呉楽である伎楽・腰鼓に分かれてそれぞれの音楽を担当した。また笛師の下には笛職人である笛工が付属した。平安時代以降は楽所や大歌所などに押されて衰退した。明治維新後、雅楽寮は楽所と統合されるなどの紆余曲折を経て宮内省式部職楽部(がくぶ)に改組され(1908年)、現在の宮内庁にそのまま引き継がれる。
次々ー
1.アルス・ノーヴァ
アルス・アンティクアに続く、中世西洋音楽の様式。フィリップ・ド・ヴィトリにより提起され、14世紀のフランス、イタリア(トレチェント音楽)でみられた。音楽の大部分は作曲者不詳であったが、フランスの ギヨーム・ド・マショーによる、シンコペーションやイソリズムを用いたモテットやミサ曲『ノートルダム・ミサ』が有名である。
2.トーン・クラスター
アメリカの作曲家ヘンリー・カウエルが用いた概念で、或る音名から別の音名までの全ての音を同時に発する房状和音のことを指す。カウエルは当時「クラスターは二度の和音の集合」と捉えていた。
3.楽劇
19世紀後半、リヒャルト・ワーグナーがオペラを諸芸術の総合体として考え、こうして生み出された作品は「楽劇」とよばれることになった。この中では「ライトモティーフ」と呼ばれる、特定の人物、もの、状態、感情などを表すために用いられた音楽的主題断片が用いられている。半音階的な和声、延々と連続する転調、周期性をもたない自由なフレーズ構成、対位法的なテクスチャー、そして合唱をあまり使用しない。
4.タブラチュア
記譜法の一種で、楽器固有の奏法を文字や数字で表示するものである。また、タブラチュア譜(タブ譜、奏法譜)は、それらを記載した楽譜である。五線譜の発達とともに廃れていったが、ポピュラー音楽の発展とともに再び広く使われるようになっている。現存する世界最古のタブラチュア譜は紀元前2世紀ギリシアのもので、デルフォイの神殿宝物庫石壁に刻まれていたものである。ただしこれは歌詞の上に音高を表す文字が刻まれているもので、現在のものとは違って音価は表されていない。現代に連なるタブラチュアが使われ始めたのは14世紀以降である。この時期は宗教音楽の発展とともに楽譜の必要性が高まり、楽器毎に進化を遂げていった。これは声楽も例外ではなく、これはやがて五線譜発展の一助となった。さらに鍵盤楽器のためにキーを数字や文字で示した鍵盤奏法譜、ダンスのステップを文字で示した舞曲譜なども現れた。
5.トリオ・ソナタ
17世紀末から18世紀初めにかけて特に人気のあった音楽形式。2つの旋律楽器と1つの通奏低音のために作曲され、3つの声部を形成するところから、「トリオソナタ」の名称がある。しかしながら、当時の演奏習慣では、通奏低音が2つ以上になることが普通だったため(ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロ、リュート、テオルボ、キタローネなどのいずれかの組み合わせ)、演奏者数が3人になるとは限らない。旋律楽器は、たいていはヴァイオリン2艇になるのが普通だが、オーボエ(シャリュモー)とヴァイオリン、フルートとヴァイオリンのような例もあり、バッハの《音楽の捧げもの》の有名なトリオ・ソナタは後者の代表例である。
6.乱拍子
乱拍子とは、囃子は小鼓だけ舞手は主人公のシテ方だけで演じられる、非常な緊迫感の中に静と動が混在する特殊な舞。「道成寺」では供養にやってきた女が山伏を焼き殺したときの鐘の下で、何か人間とは違う、恨みと恋しさが混在した、内に秘めた激しい思いを表現しているように見える。
7.日本の十二律
中国や日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法によって1オクターブ間に平均律でない半音の間隔で配された12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。
8.尺八本曲
尺八だけの独奏、あるいは連管(同じ旋律を大勢で吹く)で吹き、一般に神聖なものとして、扱われる場合が多い。そしてこれらの曲は師弟関係によって伝授されることによって、演奏出来る権利、あるいはまた自分の弟子に教えることが出来ると言った形態になっているものが大半。
9.段物
謡曲のなかの謡いどころ・及び舞どころでクセやキリに当てはまらないものをさす。この駒之段は、『小督』のなかの一部分。
10.現代邦楽
音楽のジャンルのひとつ。 琴・三味線・尺八等の和楽器による合奏が特徴。『現代邦楽』の認知度は低く、用法にもぶれが見える。特に宮城道雄らの曲は古典に分類されることが多い。『現邦(げんぽう)』、『現代曲』と略されることも多い。邦楽は、能や歌舞伎、長唄などとともに発展してきたという経緯があるため、雅楽を除いては、純粋に楽曲のみを鑑賞するという形式での演奏は行われなかった。明治に入っての明治新曲の時期、また大正時代以後に宮城道雄が西洋音楽の影響をうけ、邦楽と西洋音楽の融合である『春の海』を発表すると、それに触発されたように四世杵屋佐吉・中能島欣一・杵屋正邦といった演奏家が「楽曲のみを鑑賞するための邦楽」をつぎつぎと発表した。この時期の音楽を新日本音楽と呼ぶ。狭義としての現代邦楽の用語は、主に戦後に入ってからの作品を指す。1960年代後半より洋楽系の現代音楽の作曲家(日本人および幾人かの外国人も含む)の間に邦楽ブームと呼ばれる現象が起こり、邦楽の持つ音色や演奏美学が再認識された。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶・尺八とオーケストラのための)は、世界的に認知されたこの分野の傑作である。しかし大阪万博以後、世界レヴェルで前衛音楽全体が停滞するに伴って日本の現代音楽界も勢いを失い、この1960年代邦楽ブームはやがて沈静化した。
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